セロ弾きのQさんの恋

「Qといいます。チェロを弾きます。」ひょんなことからバイオリンリサイタルの打ち上げに紛れ込んでしまって硬くなっている僕をほぐすように、欧米系に見えるQさんはやさしく声をかけてくれた。上手な日本語に驚くと、「フランスから来て11年になります。」所属の楽団を尋ねると、「フリーです。『のだめカンタービレ』にもでました。」ほんとだ、上野樹里と玉木宏と写真にうつっている。

日本に来た経緯を尋ねると、しばらく黙ってどこから説明しようかという顔をした。この11年、同じ質問に何百回も答えているだろうに。その一瞬のとまどいをみて、やばい、また地雷を踏んだかと僕が悔やみ始めたころ、Qさんは、思い切ったように答えた。「15年前、パリで日本の女優さんと恋をして、別れました。心がはっきりしないので、11年前日本に来ました。15年間会っていませんでした。」

「心がはっきりしない」、「会っていませんでした」、というのは、日本語の間違いなのか、正確な意味を聞きたい。とても。

しかし、僕の過去の舌禍事件の古傷がうずくので、「どういう場で活動されているのですか」と話題を切り替える。昨日は、伊勢神宮で藤井フミヤのコンサートにでてきた。テレビCMでも演奏している。普段は、渋谷並木橋のラトリエを使うことがあると。

女は、才能に惚れる。おまけにQさんは、イケメンで優しい。「次だよ、次の恋を見つけろよ。お前なら素晴らしい女性がみつかるよ。」と喉まででるが、いえない。純粋なこの人にそんなことを言うと、本気でおこってしまうかもしれない。彼の純粋な恋をけがす言葉かもしれないから。

僕たちの会話を聞いていた周りの人は、みんなQさんの恋が気になる。直接聞くのも気が引けるので、微妙に少しずつ周辺の話題に近づいていく。ある人がいう。「男は、別名保存、女は、上書き保存だからね。男は、付き合った女を忘れないけれど、女は、新しい恋人ができると昔の恋人を忘れていく。」そういえば、10年程前に、僕も似たようなことを書いたことがある。(ココ)ふむ、男は、こんなことでも抽象論が好きだ。

こういうときにさっぱりした勇気で現実に対応力があるのは女性だ。「Qさん。11年間、ずっと彼女のことを思っていたのですか」ビシッとストレート。

彼女と別れてからパリでずっと悩んでいました。Qの何が悪かったのか、Qはどうすればよかったのか、ずっと考えていました。いつまでたってもわからないので、11年前、思い切って何の準備もなく日本に来ました。それから、11年間、Qの何が悪かったのか、Qの心はなんなのか、また、ずっと自分に質問していました。そして、ようやく2週間前、はっきりしたのです。Qの何が悪かったのか、分かりました。15年かかってようやく彼女とのことについて、心をはっきりさせることができました。もう、前に進もうと。彼女のことはQの大切なものとして忘れはしないけれども、前に進むことができると。
せきをきったような話ぶりだった。

聞いたみんなそれはよかったと口々にいった。しかし、みんなが覗き込んだQさんの顔はそれほど、晴れやかではない。

僕は、明るい話にしようとした。
「一目惚れでしたか」
「ああ。最初から気になっていましたが、気になればなるほど、彼女にだけ冷たく接しました。仲間の他の人にはフレンドリーなのに、彼女にだけは、フレンドリーじゃない。気になっているのに。」
「まるで、日本の男の人のようですね。フランスの男の人の印象が変わりました。」
「僕は、そういう人なんです。それからしばらくして彼女からアプローチがあって恋人になりました。」
その女(ひと)、Qさんほどは純粋じゃないのではないかな。

「縁ですよね。」
「え?なんて言いました。」
「縁です。」なんて難しい日本語を知っているのだろう。
「一週間前、その女性と偶然会いました。ラトリエでです。彼女も僕もお客さんとしてきていました。15年会っていませんが、すぐに分かりました。」
「どうでした?」なんて間抜けな質問だろう。この美しくて清らかな話に、このくそったれ野郎の自分。
「冷静にいられました。よかったです。」なるほど、だから、15年間会っていませんでしたと言っていたのだ。Qさんの日本語が正しい、僕の耳がやましい。
「15年会えなくて、ようやく心がはっきりしたら、一週間後に会えた。本当に不思議です。これこそ、縁ですよね。」

みんな身を乗り出す。「どんな話をしましたか。」「連絡先を聞きました?」
「普通に、お元気ですかと。でも、特別な時間でした。連絡先は聞いていません。」

「会った後、今も、心ははっきりしていますか。」一瞬Qさんは沈黙して、自分の心を探るようだった。
「心は、はっきりしている。・・・と、思います。本当に縁というのは、すごいですね。ちゃんと心ができたと思ったら、一週間後に出会った。15年会えなかったのに。」
この後、Qさんは、僕たちが何をきこうとも、この縁の話を繰り返した。
そして最後にぽつりといった。
「11年ですが、ずいぶん短いと思っています。50年は、かかると思っていましたから。50年と思っていたのが11年。ラッキーです。縁です。」Qさんは、自分に言い聞かせるように言った。その意味深い日本語のレベルの高さは、Qさんが異国の地で生きてきた11年という歳月の重みを示していた。

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