サミュエルソン「世代重複モデル」と年金、金融

19日、社会保障国民会議が「税方式」の年金の試算を公表した。そんな折、サミュエルソンの「世代重複モデル」は、年金とは、貨幣とは、信用とは、バブルとは、なんだろう。金融の本質は、なんだろうと、いろいろな考えを頭に浮かばせてくれる。

岩井克人の説明によると(「二十一世紀の資本主義」)、サミュエルソンの「世代重複モデル」は、経済学界のスキャンダルとなった。このモデルは、アダム・スミス以来経済学者が教えていた、自由放任主義的な物々交換が、最適な資源配分を行えるという命題を、シンプルで明快に否定してしまったからだ。

この「世代重複モデル」では、すぐに腐ってしまう一種類の消費財しかない。蓄えることのできない財のみで生きているのだ。そして、若者は、自分で消費するよりたくさんの財の生産をできるが、老人は、この財の生産が全くできない。それが何世代も未来永劫に続く経済世界を想定する。

このモデルの世界では、若者と老人の間で幸福な交換は、行われない。市場において若者が今期自分の作った消費財の一部を老人に差し出したとしても、悲しいかな、老人の側からはその見返りとして若者に差し出すものはなにもない。たとえ、親切な若者が老人に財を与えたからといって、将来、自分が老人になったときに支えてもらえる保障はなにもない。そのときの次の世代の若者には、何もいいことをできないから。つまるところ、この「世代重複モデル」では、老人と若者の間で財の交換はなく、未来永劫にわたって「姥捨て」が繰り返されることになる。

ここに、「貨幣」なるものを導入すると、様相が一変する。一片の紙切れが消費財一単位と同じ価値を持ち続けることを、老人たちが未来永劫にわたって人々に信じさせることに成功したとする。そうすると、老人は、その一片の紙切れと交換に、若者が生産した財を手に入れることができる。そこで一片の紙切れを手にいれた若者は、老人になったときに、次の代の若者にそれを渡し、財を手に入れることができる。幸福な交換。見事な解決。

しかし、ここでの「貨幣」は、世界が無限に続き、未来永劫、貨幣として受け入れられ続けるという虚構の上になりたっている。世界がある日終わることが分かっていたとしよう。その場合、世界の終わりのときの若者にとってのその貨幣は、まったく意味のないただの紙くずである。と、なるとその一代前の若者にとっても、貨幣は、何の財とも交換できない紙くずである。従って、とたんに貨幣を介した幸福な交換は、最初から成立しなくなる。岩井克人は、言う。「貨幣とは、それゆえ、一つの『バブル(投機的泡沫)』にほかならない。」

ところで、若者、老人がそれぞれの時期に一人が消費する量を一単位の財としよう。世界の初めに、初めて貨幣を発行した老人たちは、若いうちは、余剰に生産できたものを老人に渡さず、ほかの世代の若者の二倍の二単位を自分で消費し、老人になってからは、紙切れと交換して、若者と同じ一単位を消費した。結局、一生で3単位の消費をしている。それ以後の世代は、若いときと老人のとき、それぞれ一単位ずつ、一生で二単位の消費をする。一方、ある日突然世界が終わったときの若者は、2単位の生産をしていながら、紙切れと一単位を交換してしまっているし、老人になってからは、財の交換ができない。結局、一生で一単位の消費しかできない。つまり、最初の人は、次世代以降の人の1.5倍、最後の世代の人の3倍の消費ができる。これが、「シニョレッジ(貨幣発行者利得)」である。

この「世代重複モデル」というのは、現代の金融の多くの問題に色んな示唆を与えてくれる。

「貨幣とは、信用」である。「貨幣は、バブル」である。ということは、金融の重要な機能としてあげられる「信用は、バブル」なのだろうか。ならば、繰り返されるサブプライムのような巨額金融損失事件は、そもそも信用に基礎をおく金融において、本質的に不可避なのではないだろうか。とか。

今、世界中の金融関係者にとっての恐ろしい悪夢は、基軸通貨ドルの暴落である。一方で、アメリカは、数年毎に金融の事件を起こして、周囲に反省の色もみせない。シニョレッジを、度を過ぎて楽しんでいるようにみえるのが、世界中の人々には、忌々しい。しかし、それは、基軸通貨があれば、結局は、だれかがシニョレッジを楽しんでしまうということなのだろうか。しかも、資源配分を最適化する幸福な交換が行われるには、基軸通貨がどうしても必要なのだろうか。とか。

今話題の年金こそは、この「世代重複モデル」にもっとも似た仕組みである。ずさんな事務処理故に、社会保険庁の出す一片の紙切れが信用できなくなってきたというのは、まさにこのモデルが提起する問題を思い起こさせる。しかし、それよりも、もっと本質的で恐ろしいのは、日本経済が衰退し、積み立てている円という通貨の価値が著しく下がったならば、積立額の多少の個人的誤差なんかのレベルでなく、すべての老人が、生きていけなくなる。これこそが、このモデルのいう「未来永劫に続く姥捨て」が、われわれの身に現実に起こることでないか。とか。

このように、この「世代重複モデル」が、現代的ないろいろな問題に示唆を与えるのは、なぜだろう。それは、金融にとって、時をまたいで価値の交換を行うという点が、一番本質的な性質だということを示しているように思える。

貿易商人が、空間的な場所をまたいで価値の交換を行うとすれば、金融商人は、時をまたいで価値を交換する。今のキャッシュと将来のキャッシュの価値の違いが金利だ。今のキャシュにより高い価値を見出す人が、将来のキャッシュにより高い価値を認める人に、お金を借りる。その仲介をするのが金融商人だ。

また、貿易商人が、場所をまたぐときに起こる価値の毀損リスクをマネージしているように、金融商人は、時をまたぐときにおこるリスクをマネージしている。債務者や投資先が長い期間のいつかに、破産しないかどうかをマネージする。

「世代重複モデル」は、世代という非常に長い時、人の一生の長さを超える時をまたぐ経済行為を提示している。時をまたぐことを本質とする金融においては、そのまたぐ時を極端に長いケースを想定して考えると、金融の本質的な問題が、もっとも顕著に現れるのだろう。

「税方式」か「社会保障方式」かという議論は、僕のような一般人には、区別のつきがたい不思議な議論にみえる。どちらにしても、政府の出す一片の紙切れを今の人も将来の人も未来永劫に信じられるかどうかにかかっている。その点においては、違いがないようにみえるからだ。

そうしてみると、年金の問題というのは、金融の本質につながる問題に思えてくる。事務作業のミスを数え上げることだけにとどまらない、もう少し深い議論を見てみたいものである。そう、年金は、金融の王様ともいえるのだから。

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この記事へのコメント

らくちん
2008年10月26日 23:01
Forsterstrasseさん、コメントありがとうございます。200年、6%、すごいですねえ。人口増、すなわち投下労働力の増加とは、関係ないのでしょうか。株と融資(金利)の関係も興味深いですねえ。また、色々と教えてください。
Forsterstrasse
2008年10月23日 02:04
貴重な示唆、深く感謝します。私はいま、株はなぜ過去200年間に限れば大多数の国で6%前後の収益を上げてきたのか?リスクプレミアムか、資本主義が大成功しただけか、それとも?を地球温暖化(私はセミプロです)を意識しつつ考えています。Foresightの田中先生の記事と併せて考えさせて頂きます。

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  • 「資本主義は嫌いですか」竹森俊平

    Excerpt: サブプライム問題後読んだ、資本主義もの、バブルもののなかで、一番面白いように感じました。適度に理論的で、適度に面白く書いてあります。 Weblog: らくちんのつれづれ暮らし racked: 2008-10-16 00:43