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鳩山政権の対米強硬外交をみて、ああ、日米開戦に至った世の空気とは、こういうものだったのかしらんと思っています。当時の日本は、政官軍マスコミが競うように相互作用して、ポピュリズム外交を形成していきました。アメリカは、途中までは、「めんどうくさいなあ」という顔をして消極的に対応していたと思いきや、日本がある一線を越えた見るや、日本がどうしても飲めないハル・ノートをつきつけました。 日米開戦にいたった原因について、軍の独走や言論の統制なども重要ですが、その過半は、戦前の日本のポピュリズム外交にあったのではないかと、僕は思っています。今、メディアや多くの政治家が理想の政治のように言っている「政権交代のある政党政治」の時代に、日米開戦への道ができてしまいました。 手許にある、「日本外交史講義」(井上寿一)と「それでも、日本人は、戦争を選んだ」(加藤陽子)をパラパラとめくって、そういう視点でみて興味深いものを並べてみます。 ○ まずは、戦前の日本の民主主義について 戦前の日本では、二大政党制による立派な民主主義が成立していました。日本が戦争でアメリカに負けて、GHQが来るもっと前のことです。むしろその民主主義が、日米戦争の種をまいてしまったとも言えます。民主主義、二大政党制などは、それだけでは、とても上手に運用しないと、大変な惨禍を起こしてしまうということでしょう。上記本から引用します。 浜口内閣が戦前日本における「平和と民主主義」の最高の到達点であったことは、まちがいありません。(しかし、その後の「戦争とファシズム」の時代の種をまいた可能性があるとして)こうなると、二大政党制下で異なる政策を競い合って政治を展開することが本当にいいことなのか、疑問に思えてきます。この事例から、歴史的教訓を学ぶとすれば、少なくとも外交の基本政策に関しては、政権交代にかかわらずその方向性が共有されてなくてはいけないということになりそうです。(井上 P.66) 時の外相が、外交の場で、「自分が野党の時は、反対していた。」などというのは、御法度なのは、いうまでもありません。 ○ 満州事変 満州事変が起こった頃の政治的状況と雰囲気について、上記本から引用してみます。 満州事変が謀略によって起こされたときの内閣は、民政党を与党とする政党内閣である、第二次若槻礼次郎内閣でした。(加藤 P.287) (1931年、若槻内閣が、満州事変を明確に否定せずに、腰の引けた対応をした理由について)当時の政党内閣にとっては、選挙に勝利することが非常に大切でしたが、その選挙対策をとりしきる人物が内務大臣・安達謙蔵でした。安達は選挙の神様と言われたくらいで、選挙で民政党を勝たせてきた功績があった。(中略)若槻首相としては、安達と井上の間に挟まれて、閣内をきっちりとまとめられなかったのです。実際、若槻内閣は、31年21月11日、安達による政民(政友会・民政党)連携問題をめぐる閣内不一致で総辞職となりました。(加藤 P.290) 小沢さんのような政治家は、決してまれではなく、歴史上も、時々いたのですね。ついでにいうと、満州事変について、関東軍は、「首相の承認を得ずとも、独断専行して結果を出して世論の支持を得られれば、首をきったり、政策の撤回は、できっこない。」と、みて動いていました。亀井大臣の独断専行ぶりのような動機だったのかもしれません。 ○ 国際連盟脱退(1933年) 1933年、国際連盟が提示した和協案が、既に閣議が承認した陸軍の熱河作戦と、根本的に矛盾しており、国際連盟脱退が不可避と外務省は、判断します。(井上 P.80)斉藤首相は、天皇のところに駆け込み、熱河作戦を決定した閣議決定を取り消し、また、天皇の裁可も取り消して欲しいと頼みます。天皇も「統帥最高命令により、これ[熱河作戦]を中止したい。」強く主張しました。しかし、天皇から相談を受けた奈良侍従武官と西園寺元老は、斉藤首相の案に反対します。もしここで、天皇が一度出した許可を撤回したとなれば、天皇の権威が決定的に失われると考えたからです。(加藤 P.310) このあたりの雰囲気は、今の民主党の議論から想像がしやすいですね。マニュフェストを取り消すのが、外交上得策ではないのか。あるいは、そんなことをすれば、鳩山首相の権威が決定的に失われるのではないかと、議論をしているにちがいありません。 加藤は、述べています。 このとき、斉藤首相と天皇の考えのとおりになっていれば、日本の歴史は、また別の道を歩んだかもしれないと私は思います。(加藤P.311) (次回に続く) |
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