2003年台湾で感染のSARS 1/2

〇中国武漢の新型コロナウイルスは、広東省起源のSARS(重症急性呼吸器症候群)に類似している。(Chaolin Huang, ランセット誌2020.)2003年、私が駐在していた台湾の人に感染してきたSARSについて、「台湾つれづれ」サイトで報告した。

〇2003年の辛い経験をした台湾の政府、政治家、医療関係者のすべてが、私と同じ思いで、ずっと準備してきた。だから、2020年の新型コロナウイルスに対して、医学的にも人道的にも、世界で最高の対応をした。

〇2020年の日本で、下記情報が今からの将来に役に立つなんて… 

〇「台湾つれづれ」サイトの「SARS関連(2003年4月―7月+12月24日)」項目に、リンクをつけている。そのリンク先のいくつかを以下にコピー引用。長文ですみません。

SARS(2003年4月12日)
・台湾では、4月10日現在感染者数23人。

・3月下旬頃は、新聞でも、イラク戦争を押しのけて一面で報じられていましたが、今では、新しい患者が台湾で見つかりでもしない限り、一面には、なっていません。

・日本の報道の特徴が見えてくると思います。3月下旬に、香港で発症例が判明し、広東省でたくさんの発症例があったらしいと推測された時点で、「これは、大変なことだ。」と考えるのが当然です。しかし、日本のメディアは、「ボー」としていました。

SARS危機総動員(4月28日)
・とうとう、昨日(27日)、台湾で初めてのSARSによる死者がでた。昨夜、陳水扁総統が国民にSARS対応を呼びかけた。ニュースチャンネルでは、殆どの時間を使ってSARS関係ニュースを流している。画面には、「SARS危機総動員」の文字が、固定で表示されている。

・繰り返しになるが、日本は、もっと様々な対応を準備しておいた方がいいと思う。数十人程度の症例が出た場合。数百人の場合。数千人の場合。それぞれどうするのか、ちゃんと想定して準備した方がいいと思う。

SARSの問いかけ(5月12日)
・台湾社会でのSARSへの対応をみていると、グローバリズムの進展、医療制度、人権などの現代的で且つ複雑な議論とともに、仕事とは何か、隣人と暮らすとはどういうことか、隠してはいけない話と隠さなければいけない話とは何か、という身近で単純な問題を深く考えさせられます。

・一ヶ月後、台北なり、北京で、SARSがやや沈静化したとします。大変大きなビジネスのある客から、台北や北京に出張で来て欲しいといわれた時、どうしますか。あるいは、自分の部下を出張で出して欲しいといわれたとき、行かせますか。二ヵ月後なら行きますか。そして、ある日、日本人の出張者からSARS患者がでたとき、あなたはどう思いますか。

・隣人との暮らしの話です。SARSは、よい検査方法がありません。従って、SARSの感染を止めるには、SARSかどうか分からない人も隔離する必要があります。「疑わしきは、罰せず」が人権の基本的な考え方であるにもかかわらず、SARSの予防策は、「疑わしきは、隔離」になってしまいます。

天母でのSARS(5月17日)
・らくちん(筆者のペンネーム)の住んでいる天母(テンム)地区にある大葉高島屋デパートの女性店員が発熱、SARS陽性となった。この件が日本人駐在員の家庭に与えた動揺は、大きい。天母は、台北市には属するが、中心部からは少し離れており、台北駅からだと車で30分くらいかかる。

・今回のSARS患者は、日本人が一番行き来するこの日系デパートの地下一階にある、タコ焼き屋の女性店員であった。僕自身も、このデパートの地下一階には、5月4日に行った。
(次は、2013年台湾でSARS 2/2)

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 0

この記事へのコメント