「一番になる」という夢の道徳性

一番になる夢を真剣に持てと子供に言う人がよくいる。でも、一番になれないと死んでしまうというほど真剣にその夢を全員が追いかけたら、世の中は成り立たない。一番の一人以外全員死んでしまえば、世の中は壊れてしまう。これは、「あなたと同じことをみんながしても、世の中が成り立つことをしなさい」という道徳的正義に反している面があるのではなかろうか。

「あなたと同じことをみんながしても、世の中が成り立つことをしなさい」というのは、立派な道徳的正義の一つだと思う。サブプライムは、これに反していたからやましい。

実は、世の中の大半の人が、そんなに強く「一番になりたい」「プロスポーツ選手になりたい」とは思えない。学問、芸術、スポーツなどで名をなしてマスコミで「夢を持て」と語れる少数の人以外の大多数がそうだろう。

そんなだいそれた夢はかなえられそうもないからというのが、一番強い理由だろう。小学生でも、いや、小学生ほど、自分の位置づけが分かっていたりするものだ。僕は、草野球が好きだったけれども、9番とかライトとかセカンドとかしか望んだことはなかった。

それに加えて、「一番になりたい」という夢に、元気の良さとともに一片のやましさの臭いを感じとる人も多いのではないだろうか。それは、道徳的正義の一つに反しているニュアンスを無意識に感じ取るからではないだろうか。

蓮舫さんが「一番じゃなければいけないのですか」と言った言葉に共感を持ったのは、そういう人だろう。また、負けず嫌いで一番を目指す人に距離をおこうとする人もそういう人だろう。そして、そういう人が、世の中では多数派なのだ。

ところで、僕は、真剣にサッカー日本代表の監督になりたいのだけれど、どうしたものか。

ブログ気持玉

クリックして気持ちを伝えよう!

ログインしてクリックすれば、自分のブログへのリンクが付きます。

→ログインへ

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
驚いた
面白い
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

気持玉数 : 4

なるほど(納得、参考になった、ヘー)
ナイス
ガッツ(がんばれ!)
かわいい

この記事へのコメント

この記事へのトラックバック