仕事への期待と現実

「秋葉原の事件、気持ちは、分かる。」と複数の若者に言われて驚いた。仕事に対する、今の不満と、将来の不安。そこに共感する部分があるようだ。「中国の田舎の人と同じことしかできない人は、中国の田舎の人と同じ給料。」というのが、グローバリズムの本質とすれば、その本質が、具体化し重い現実となって、若者にのしかかっている。

秋葉原の事件について、メディアでは、派遣労働者、オタクなどという言葉でステレオタイプの異常な人物像を作り上げかかっている。しかし、実際には、県内一の進学校をでて、自分の好きな自動車の技術の道を進んでいる。派遣労働者といっても、まっとうな職場でまっとうな仕事をしていた。今の社会では、むしろ普通であって、最底辺の暮らしという訳ではないようにみえる。このあたり、いかにも生活異常者が犯人だった池田小学校や宮崎勤の事件などと、違っている。それが故に、なおさらおそろしい事件である。

フリーランスでクリエイティブな仕事をしている人が、この事件について、「いつ仕事がなくなるか不安な人の気持ちは、すごく分かる。」と言っているのに驚いた。僕のようなヘボリーマンからは、やりがいのある文化的な仕事を自分で選択してやっていて、うらやましく見ていたからだ。

また、大企業に勤めている若い人から、「らくちんさんの年代は、逃げ切れるかもしれないけれど、将来、自分たちが年とったときは、年金なんて絶対なくなっている。とても不安。」と言われて、言葉につまった。大企業の正社員でもそう思うなら、日本中、将来の仕事と収入に対して不安があるのだろう。

もちろん、僕自身は、犯人に同情や共感する気は、一片も起こらない。秋葉原の事件は、異常な性格の犯人が起こした事件であり、社会が起こした問題とも思わない。どんな社会であったとしても、地獄に暮らしていようとも、人間としてしてはいけないことだ。

しかし、まっとうな若者が共感する部分があるとすれば、社会の問題として何かしらを気づくべきだと思う。結論からいえば、僕たちの世代あたりから、仕事というものに対して、とても期待しすぎていたのではないか。一方で、グローバリズムの進展により想像以上の厳しい現実がのしかかってきている。その期待と現実のギャップがあまりに大きくて、終わりのない不満と、先の見えない不安に悩み、個人で対処できない状況にみえる。

働く者にとっては、「中国の田舎の人と同じことしかできない人は、中国の田舎の人と同じ給料。」というのがグローバリズムの本質だ。このグローバリズムの浸透に対して、社会や企業は、二通りに対応を行った。一つは、「中国の田舎の人とは、違うことをする」であり、もう一つは、「中国の田舎の人と同じコストで生産する」だ。

まずは、「中国の田舎の人とは、違うことをする。」というアプローチがとられた。僕たちが20代のときは、仕事に対して、出世や給料よりも、自分のやりがいが大事なんて思い始めた頃だと思う。仕事のためにすべてを犠牲にする企業戦士でもなく、プライベート最優先で仕事に無気力な訳でもない、自己実現というほどおおげさでないにしても、ときには小さな達成感や喜びを味わえる仕事をしたいものだと思った。

それは、日本が欧米に追いついた時代であり、欧米を追い越し、アジアの発展途上国の追撃をかわすという社会全体の課題と風潮にのっていたのだろう。産業全体が技術革新をもとめており、組織内部では、創造性と改善を維持する方法が問われた。職場には、言葉だけだった感はあるが自主性、動機付け、現場裁量、自由、創造性などがとりいれられた。その経営課題は、今でも続いている。

やりがいのある仕事を自由に選んでするという仕事感を最も具体的な形にしたのが、フリーターであった。20年前の僕たちの世代には、フリーターという言葉に、フリーランスにつながるかすかなあこがれこそあれ、今のようなワーキングプアにつながる強いマイナスイメージはなかった。

こうして「中国の田舎の人とは、違うことをする。」為の組織が作られ、企業文化が醸成された。新たに職に就くものも、そのための創造性が発揮できる場を期待した。しかし、現実は、もちろん厳しい。自由や創造性というと言葉は美しいが、グローバルな競争の中で効率性を問われるとなると、とたんに重い課題となる。そもそも、効率と自由、効率と創造というのは、原理的に矛盾している。

企業は、もの言う資本家の前で、独創的な商品、画期的な経営方針を、明快に説明しつづけ、グローバルな競争の中で売上げをあげなければならない。そのための現実の職場では、日々、電子メールに返事を書き、期日までにパワーポイントとエクセルで資料を作成し、客にプレゼンする。いわば、クリエイティブな単純作業の連続であり、創造的雪カキが続く。そうして歳をとっても将来、年金は、なくなっている。仕事に対する期待と現実のギャップの大きさに苦しむ。

もう一つは、「中国の田舎の人と同じコストで生産する」というアプローチだ。受注の波に柔軟に対応するため、非正規社員を増やした。派遣というのは、まだ待遇のいいほうで、コスト管理が厳しい工場では、ラインまるごとの請負が行われた。そこでは、多くの若者が工場の近くの寄宿舎に住み込み、低賃金で長時間働くことになった。文字通り、「中国の田舎の人と同じコスト」で働く、「蟹工船」的世界である。そして、職の安定性はなく、将来の収入や年金にも確証がもてない。

結局のところ、企業や社会は、「中国の田舎の人と違うことをする」というプレッシャーのもと、仕事に対して創造性と自由を強調し、結果的に、仕事に対する甘い幻想を振りまいてしまった。それに対して、現実は、大企業の企画部署にいようとも非正規雇用で工場のラインに立っていても、等しくグローバル競争にさらされている限り、徹底した効率とコスト管理のもとで、蟹工船的労働が待っている。仕事に対する期待と現実のあまりに大きいギャップに直面し、ある人は、呆然とし、別の人は、うちひしがれ、心の弱い人は、キレる。

やっかいなのが、創造性をもとめられる職場とコスト管理が求められる職場との、二つ職場観のどちらもウソやダマシでないことである。グローバル資本主義の下、企業は、ますます創造と革新が生存のために必須となり、自由な想像力の発揮を採用者に期待し、そういうメッセージを若者にだす。これは、きれいごとでも、ウソやダマシでもなく、切羽詰った本音だ。一方で、「中国の田舎の人と同じ」厳しいコスト管理の現実が待っている。そうでないと、会社がつぶれるからだ。

ここまで読んできていただいて申し訳ないが、僕には、このギャップを埋める方策を今、思いつかない。ただ、今の日本において、仕事に対する期待と現実のこの大きなギャップをみんなで直視しないと、手のうちようもないと言えるだけだ。

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この記事へのコメント

らくちん
2008年09月15日 22:49
グアルデリコさん、コメントありがとうございます。ブログ読ませていただきました。サッカーの記事も楽しく読ませていただきました。やはり、今、俊輔は、日本代表に絶対必要ですね。
グアルデリコ
2008年09月14日 11:45
はじめまして。

先進国、特に日本社会が「中世化」しているのではと、私も前々から感じており、グーグルで「中世化」で検索したら、ラクチンさんの非常に興味深いブログに出会いました。

今回の記事も非常に興味深く読ませていただきました。自分のブログで感想を書きましたのでみていただけると幸いです。

http://guaruderiko130.blog56.fc2.com/blog-entry-48.html
らくちん
2008年07月07日 23:23
tanakaさん、コメントありがとうございます。そう、僕たちの世代も、この現実を受け入れていくしかないのですから。
tanaka
2008年07月06日 22:50
創造性とコスト、この二つを直視しただけで十分だと思います。今の所は。
結局は社会全体が特に若い世代がこの現実を受け入れていくしかないのでは。

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