正統性と実効性

民主主義と自由経済というのは、実は、最も正統性の証明しにくい制度ではないかと思い始めている。結局、実効性のみで、しかも長期の実効性のみで、正統性を証明せざるを得ない制度ではないだろうか。

フランシス・フクヤマは、「歴史の終わり」で、成熟した社会は、民主主義と自由経済に行き着くと結論した。そのフクヤマが、「アメリカの終わり」で、イラク戦争に悔悟の念を持ちながら、民主制、独裁制、貴族制などを挙げて、政治制度の正統性と実効性を論じている。

それを読んで、僕は、思った。実は、民主主義と自由経済というのは、実効性の証明はされているけれども、正統性の証明は、あまりうまくされていないのではないか。結局、歴史的にその他の制度では、害が大きすぎたからとか、とりあえず、今は、そこそこ上手く回っているから、という理由だけで民主主義と自由経済が選択されている。言い換えると、実効性のみで正統性を得ているといえないだろうか。

確かに僕たちは、ホッブスだ、ロックだ、フランス革命だ、といって民主主義の正統性について、理論と歴史を教えられた。しかし、民主主義の理論は、なんだかいかにもこじつけがましいし、第一、俗な議論で、崇高な香りがしない。余程、キリスト教やイスラム教による正統性の議論の方が、概念的に整理されている。それに、心の深いところの良心に響くものがある。

理論を離れて現実の世界でも、とても民主主義が、理念的な正統性を持つと実感しにくい。選挙において、テレビコマーシャルで相手のスキャンダルを暴き立て、そのコマーシャル代を捻出するためにあざとく資金集めをしている姿を見せつけられながら、選挙制度こそが、崇高な民主主義を正統化すると言われても、腹に収まらない。ローマ教皇の選出のように、立派なおじいさんが何人かこもって協議して、煙突から出てくる煙の色が変わるのを祈るように見ている方が、なんともありがたみがあるではないか。

自由経済も同じだと思う。神の見えざる手に始まって、限界効用だ、均衡だと教えられたけれども、その理論は、結局、みんなあざとく儲けを狙って、あくせくぎすぎす働いて、相手を出し抜こうとするのがいいんだということで、なんとも、正統性の証明には、なっていないように思う。それに、理論が、現実に経済活動をしている人々の実感にあっていない。

結局、民主主義が定着している国は、その他の制度で随分ひどい失敗をして、民主主義よりましな制度が見あたらないと、国民的合意が形成されているところばかりだ。また、自由経済も同様で、ソ連の失敗を見て、とにかく豊かになるには、これしかないとみんなが現実的に納得するから支持されている。

つまり、民主主義も自由経済も理念的な正統性の証明は、うまくできていない。実効性についても、なぜ、実効性があるのか、結局のところよく分からない。ただ、長期的にみると、結果的に、よいパフォーマンスを示している。それだけである。その結果による実効性の証明の一事でもって、正統性も得ている。

そうだとすれば、イラクのように、その実効性の経験のない社会で、民主主義を定着させるのは、大変なことだと思う。さらに、中国においては、とりわけ現実的な国民に、民主主義の方に実効性があると、実体験のないままに納得させるのは、これはまた、至難の業だろう。

少し誇張して疑問を述べたが、僕は、自由経済と民主主義が正しいと確信している。ただ、イラク戦争や、東アジアの政治をみて思う。僕たちが当然のように思っている自由経済と民主主義の正統性と実効性は、歴史的な実体験のない人々に、なかなか理解しがたいものだ。それは、心しておかなければならない。

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