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help リーダーに追加 RSS 「器の大きさ」の具体的な意味

<<   作成日時 : 2007/09/24 19:49   >>

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安倍首相の退陣を機に、リーダーの資質としてよく言われる、「器の大きさ」とは、何だろうかと少し考えてみた。

安倍首相の退陣のときに「ストレス耐性」が話題になった。しかし、彼がつまずいたのは、そこまで卑小なものというよりも、もう少しレベルの高い「器の大きさ」が足らなかったということではないか。ストレス耐性だけなら、マゾヒストか鈍感なでくのぼうで事足りるのだから。

「あの人は器が大きい」と言うことがある。いかにも東洋的で、英語に翻訳するのに難しい表現だ。僕は、自分ではっきりと意味が理解できない言葉を使うのは好きではないので、余り使わない。けれども、ふと思いついた。「器の大きさ」とは、普通の言葉に言い換えると、「自分ならしないであろう他人の行為をどれだけ肯定的に受け止められるか」ということだろう。

器の大きさとは、本当の意味は、これを含んでもっと広い意味だろうけれど、具体的に説明できる最も大きなかたまりは、これくらいでは、ないだろうか。

僕などは、器が小さいせいか、自分が同じ場面ならそうはしないと思うことをする人を見ると腹が立つ。約束の時間に毎回5分ずつ遅れる人、口が固くない人、逃げる人。そして、そういう人をみると、時には、怒る。怒るだけの実力が自分になければ、一人で不満がたまる。それでも、自制できなければ、きれる。

だって、子供のときから、「自分がされたらいやだと思うことを他人にするな」と教えられたではないか。それなら、自分ならしないようなことをする輩は、間違っているのだ。・・・と、思いがちだ。

ところが、立派な人は、ちょっと変わった人でも、上手に受け入れている。人格者である本人なら決してしないような行為をする人を、肯定的に受け止めたりしている。そういうところを世間の人がみると、「あの人は、器が大きい」と思う。

善人が善人を善人と認めるのは、ある意味では、あたりまえのことである。器の大きい人が、人々に印象深いのは、善人が、善人でない人の意義を肯定的に認めていることだろう。

もちろん、限界を超えて悪いことをしているならば、その人を断ち切らねばならない。限界なく、なんでも受け入れているのは、「器がない」のと同じである。

いや、なかなかに奥深いものである。

安倍首相は、もともと、自分と同じように考える「お友達」以外は、受け入れられなかった。そして、資金疑惑を抱えながら大臣就任を受諾するとか、自殺してしまうとか、また、首相にろくな相談もなく大臣を辞めさせてしまうとか、自分ならしないであろうことをする周囲の人間を、そしてそういう事態を、前向きに受け入れられなくなったのだろう。許容値を超えてバンザイした。その意味で、リーダーとしての器でなかった。

さて、アメリカは、器が大きいであろうか。福田政権は、どうであろう。
そして、僕は・・・・・まだまだであるなあ。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
「限界なく、なんでも受け入れているのは、「器がない」のと同じである」

「なんじはいまかぎれり」という言葉がありますが、度量の本当に大きい人はその限界のキャパが余人には理解しがたく極端に大きい人のことです。だから評価の対象になりません。
そんな人はたまーに必要になりますが、多くの場合「傍迷惑な器のない人」で世に置き場のない人でしょう。
KU
2007/09/24 23:20
KUさん、コメントありがとうございます。全くです。新首相が、器の大きい人かと思えば、器のない人だった。と、ならないで欲しいものです。
らくちん
2007/09/26 00:04

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