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ライブドアにも飽きてきたし、ここらでゆっくり放送と通信の融合について考えてみようと思います。若いネット君と年配のテレビさんの仮想往復メールで書いてみました。今日は、テレビさんからネット君へのメールです。 ネット君へ 最近、ネットの業界では色んな事件が起こって、ネット君は、直接関係無くても大変でしょう。私の知っている限りネット関係の会社は、株の値段ばかり追っているのはごく一部であって、大部分は、地道な営業とバグとりとクレイム対応に追われており、派手なパフォーマンスよりも根気と忍耐力と長時間労働が勝負の仕事だと思っている。色んな雑音ややっかみにめげず、それを立派にこなして成長しているネット君は、たいしたものだとかねがね感心していたのだよ。いや、皮肉ではなく… そうはいっても、テレビとしては、ネット君が口を開けば決まって放送と通信の融合を語るのには、いささか閉口している。我々テレビ業界が、ネットを取り入れなければ恐竜のように死に絶えるとか、メディアと通信の融合という有史以来の変動に対応できていないとか、今のままではデジタル・コンバージェンスに日本が乗り遅れるとか、と大げさに言われても戸惑うことが多い。 ドッグイヤーだ、急げ急げと、ポワーポイントを使ってけたたましくいわれても、おじさんの頭には、あまり響かないのだよ。僕の同僚などは、ネット業界の人がプレゼンをしているときに、内容など聞かずに、「戦略」という言葉と「融合」という言葉の出てくる回数を正の字を書いて勘定して、出てくる回数の一番少ない人にだけ、打ち合わせを継続しようと言っている。そのとき、「次回は、ポンチ絵や資料なしで、自分の口だけで説明してくださいね。」と言っているらしいよ。あ、説教くさくなってしまったね。でも、これも、君のためだよ。あ、この台詞もおじさんくさかったかね。話を戻そう。 ネット君は、放送と通信の融合が、有史以来の大変動だとよくいうけれども、別に珍しいことでもない。19世紀末から第一次大戦の頃まで、電話という通信手段が、今のラジオのような放送に使われていたのを知っているだろうか。例えば、1881年のパリ国際電気博覧会では、テアトロフォンと呼ばれる受話器が展示室内に多数おかれ、オペラ座やテアトロ・フランセでの公演が中継された。人々は、受話器を耳にあて歌手の声、オーケストラの演奏、観客の拍手を存分に楽しみ、大人気だったという。19世紀末には、パリやロンドンの大都市で、広範な大衆を相手にコイン式の電話装置も登場した。人々は、ホテルのロビーや盛り場で電話にコインをいれて、受話器から流れる音楽や演劇を楽しんだ。また、アメリカを含めた世界各地で教会のミサの中継が電話でさかんにされたんだ。中でも長く続いたのは、ブタペストの電話放送局、テレフォン・ヒルモンドで、1893年から20年間も、政治やスポーツのニュース、株式情報、演劇、音楽会などを、時間を決めて放送した。特に国民的作家による自作の朗読は、女性に人気があった。(吉見俊哉「メディア文化論」による) これは、紛れも無く、100年前から放送と通信の融合があったということだよね。つまり、放送と通信の融合は、有史以来のできことでもないし、別に特段現代的なものでもないのだよ。 更に忘れてはならないのは、結局、今はこの電話放送局は、ないよね。100年前の放送と通信の融合は、30年ほどで衰退してしまったのだ。テレビとネットの融合というのも、自明の理で「歴史的必然」であるかのように決めてかかるのは、まずいと思う。そういえば、ネット君が「これから必ず融合が起こる」と断言するときの憑かれたような目をみて、おじさんたちが若い頃に、「今後共産主義社会になるのは歴史的必然だ」といっていた活動家の目を思い出したよ。あ、また、話がそれちゃったね。戻そう。それで、大切なのは、放送と通信の融合は、ラジオと電話の例では、失敗しているということを認識することだ。だからダメだというのではなくて、前向きにその失敗の原因を探したいと思うんだ。 電話放送局の失敗の原因を探るのに、もう一度、放送と通信の違いを考えてみようと思う。テレビ側が説明して最近ネットの人達も分かってきたようだけれども、もともと、放送は、通信の一部なんだ。放送法では、「放送とは、公衆によって直接受信されることを目的とする無線通信の送信」とされていて、放送は、通信の一部として定義されている。その意味では、放送と通信は、定義上既に融合しちゃっている。 では、放送と放送以外の通信との違いは、何かというと、情報の送り手と受け手の関係が「一対一」か「一対多」かの違いだろうね。電話は、一対一の通信で、ラジオは、一対多の放送という訳だ。それで、もともと一対一通信の得意だった電話を使って、放送をやっていたら、一対多通信に特化したラジオという通信手段がでてきて、負けちゃったんだ。19世紀に電話で放送ができたように、一対一通信を使えば、技術的には一対多通信も充分可能だ。ところが利用者が増えて「多」が本当に多くなってくると、一対多通信に特化した通信手段、つまり、ラジオという放送の方が、費用対効果がよくなってきた。それで、電話放送局がなくなったのだろう。 ネットとテレビとの融合でも、この経験は、考えたほうがいいと思うよ。もともと一対一通信であるインターネットを、テレビという一対多通信の放送に、活用しようとしている。でも、ネットは、一対多の通信に特化しているテレビに、費用対効果でかなわない。例えば、ネットのインフラが整ってきて、最近、テレビと同等品質の動画がパソコンで見られるようになった。ブロードバンドを使ってGYAOなどで見ているよね。ところが、その頃、テレビは、BSデジタルと地上波デジタルが普及し始めており、もうハイビジョンに移行している。今売られているテレビの殆どがハイビジョン対応だよね。じゃあ、ネットでハイビジョンを配信しようとしても、まだインフラが整ってなくて無理だ。つまり、ネットは、一対多通信の放送に特化してテレビに、常に一歩先の画質を提供されちゃっている。ネットがテレビに追いついたと思うと、テレビは、逃げ水のように先にいっている。当たり前だよね、一対多通信を専門でやっているのだから。 今のテレビ程度の画質で十分で、ハイビジョンなどの高品質の画像は、それほど必要ではないと思うかもしれない。でもハイビジョンで見始めたら、なかなか、今までの画像に戻れないよ。我々は、テレビを放映していて日々感じているけれども、人間の目というのは、耳や鼻などの他の感覚器官に比べて特段に性能がいい。人間の脳みそでも音や、においを処理している領域よりも画像を処理している領域がやたら大きい。音は、CDで、人間の耳で聞き分けられる限界の音質まで来たようだけれども、目は、とても敏感なセンサーだから、テレビの技術は、まだまだ行き着くとこまでいっていないのだ。インタビューされている人の顔の表情で、ウソをつているかどうか見分けるときなんて、もっと精細な画像の方がずっとよく分かるような気がするものだ。 結局、身びいきかもしれないけれど、テレビなんて古臭くてすべてネットに入れ替わるのが当然の成り行きだと決めてかかるのは、ネット君のためにもよくないと思う。電話放送局がラジオに押されて衰退したように、通信と放送が融合した場合、放送専門のサービスに太刀打ちできない可能性がある。画像という人間の感覚の中で最も鋭敏なものを扱うテレビの場合は、なおさらだ。 もちろん、ネットがテレビに代替するというよりも、協力関係や補完関係を形成することは、大いにありうる。そういうところで、我々テレビとしては、若いネット君の新鮮なアイデアを聞かせてほしいと思う。少し我々の業界とも付き合い始めたので、ご存知かもしれないけれども、我々テレビ業界では、若い人は、とても大事にされるし、若い人の話を聴く文化がある。正直に言って、我々も今、どの方向に進むべきかとても戸惑っているので、是非、どしどし色んな意見を教えてほしい。 テレビ拝 (次回は、ネット君からの反論です) |
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私は業界人(ネット側)なので、当然、思うことは色々とあります。 |
Forsterstrasse 2006/02/28 00:10 |
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